歩行者天国っていいなといつも思います。
みんな何か楽しそうだし、朗らかな雰囲気が全体的にある。
そして普段は歩けないところを堂々と歩ける楽しさ。普段できないと思っていたことを、どうぞどうぞと言われている感じがするのが歩行者天国の醍醐味。
だから歩行者天国がいいと思ってしまうのは、自分の中に普段やりたいけどやれないことがあるから。歩行者天国はまるで、それを解放してくれる一つの手段のように感じるからだと思います。
銀座通りの歩行者天国は、好天日には延べ30万人もの人が訪れるといいます。土・日曜日・祝祭日に和光の正午のチャイムを合図に始まり、夏期間(4月~9月末)は18時まで、冬期間(10月~3月末)は17時まで実施されています。初めて開催されたのは1970年8月。今から47年前のこと。当時は新宿・池袋・浅草でもいっせいに実施されましたが、中でも規模が大きく華やかなのが銀座の歩行者天国となっています。
僕が初めて銀座に来たのは中学生の頃。当時、吹奏楽部でトランペットを吹いていて、その練習本などを買いに銀座ヤマハに来たのが初めてでした。行けるのは週末だったから必然的に銀座は歩行者天国となっていて、とてもリッチな気分で銀座の街をブラブラしたのを思い出します。
そんな自由で解放的な歩行者天国ですが、一方で、歩行者天国は時間が限定されているからいいという面もあります。
毎日歩行者天国でもいずれ飽きちゃうし、交通機関への影響など困ることも出てくる。まるで桜を散るのを毎年愛でるように、歩行者天国も終わりがあるからいいと感じるわけです。
歩行者天国の時間はとても自由で解放された気分になるけど、終わりの時間もある。終わりの時間があるから、つまり時間的制約があるから自由さや開放度を楽しめるのではないか?と最近思うのです。
いつまでも楽しんでいていいよという状況は、いずれ飽きてしまうのではないかと思います。だから限られた時間を設けて、精一杯楽しむことをするのが多くの喜びを味わう方法なのかと思います。
人間に寿命があるのは、その為なのか?
先日の銀座通りの歩行者天国で、そんなことを考えてました。